私地獄

twitter:@ataso00

『女を忘れるといいぞ』本日、7/7発売です。

私の初めてのエッセイである『女を忘れるといいぞ』が、本日7/7(土)にKADOKAWAから発売となります。

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https://www.amazon.co.jp/dp/4046023074/

写真はShortstrawのライブを新宿Nine spiceまで見に行った帰りに撮影したものです。

 一昨日から微熱とだるさがずっと続いている。それから不吉な感じの咳も止まらないので、人に移すのはいかんとマスクをつけて金曜日に出社したら上司や先輩からの勧めをうけ、早退することに。
体調は悪い。しかし、職場近くの書店に行く機会なんて今日くらいしかないのでは?と思い、丸善丸の内店へ。3階へと向かい、ドキドキしながらエッセイや随筆の並んだ棚へと向かう。

ない。

ここの書店には、女性向けの本棚みたいなよくわからないコーナーがあるため、探す。「あ」の行を。

やはり、ない。

もしかしたらサブカルチャーにあるかもしれない。あ、ここは歴史コーナーか……どれだけ探しても見当たらない。まさか、話題の著書のコーナー…?ははは、もっと現実を見ろ。
そこで検索機を使い、自分の本を自分で調べる。「在庫あり」と表示されるも、棚情報の欄には「※商品の在処については、店員までお気軽にお問合せください。」と書かれている。
いや、無理だ。気軽になんて聞けない。なぜなら、著者が私だからだ。そりゃあ無名だし、顔も割れていない。しかし、何かをきっかけに私が私であることがバレてしまうかもしれない……えーいやいや、やめてよ。そんなの無理ですよ。ということでやはり自力で探そうとするも、どうしても見つからずに断念。そのまま家に帰る。
家の近くにもいくつか書店があるのだけれど、小さいのがチラホラ、という感じ。なので、まだ私は自分の書いた本に巡り合う、という経験をしていないこととなる。

自分の本、というのもなんだかおかしな話で、こうしてきちんと印刷された形になって自分の目の前に出されると、なんだか自分のものじゃないような、「ああ、こういうこと書いたっけなあ」くらいの不思議な気持ちになる。
今考えてもよくもまあ224ページも書けたな、と思うし、自分の気持ちなんてコロコロ変わるし。かなり他人事というか。とにかく、変な感じ。
Twitterとかインスタとかめちゃくちゃ検索してもそんなに引っかからないので、不安になってきた。え?平気?本当に大丈夫?一冊も売れなかったらどうする?売れますように、アッラーフアクバル。あとは天に祈りながら、細々と告知をしていくのみ……。


大森さんにも告知をしていただいた……!うれしいな。大森さんには何の利益もないのになあ、ありがたいありがたい。

いよいよ今日発売です。見かけたら是非!正直にいうと、少し多めに刷っているみたいなので、結構色々な書店で見かけるはず。

■丸の内マゾヒスティック

そう。私は丸の内で働いている。働きはじめた当初はなんか一流のOLになれた気がしてテンションが上がったけれど、今はもううんざりしている。何もいいところがない。

まずランチが高くて1000円以上が当たり前だし、私が好きな赤提灯の居酒屋がほとんどない。サイゼリアもガストもない。はなまるうどんはある。シーシャ屋はない。観光客ばかりで歩きづらいし、会社付近をTシャツ一枚で歩いていると本当に目立つ。

それから、東京の真ん中に当たるので満員電車は回避できず、会社の近くに住もうとすると必ず家賃が高くなる。クソだ、クソ。

私にとってのいいところは、旅行のため成田空港に行くとき、バス停が東京駅発であるくらい。でもそれも年に3~4回くらいだしなあ。

本当にいいところが何もない。丸の内OLというと響きがいいけれど、実情は毎日小汚い恰好だし、安月給だし、キラキラしていなければブランドバックの代わりに黒いリュックを背負っているし、ホットヨガも行かないし。身の丈にあった場所にいながら自分にあった金の使い方ができないと、周りにあるものなんて本当に無意味なんだな、と思う。 

■男性目線で

お気づきかもしれないけれど、私は文章を書くときに誰が見るとかどんな人がいるのか、というのを全く考えていない。原稿を提出した時点で自分のなかでは完結しているというか。人からの感想もいらないし、何か文章を書いたときの一番の成果といえば、自分の気持ちのもやもやが晴れることくらい。

トークイベントをするときは9割女性だし、まあでも、そりゃあそうだよなあ、という感じ。普通の日常生活をしていても男性に好かれることの方が少ないし、男の人の気持ちなんてきっと死ぬまでわからないと思うし、そもそもわかろうともしないだろうし。そういう要素を抽出していくとああいう文章が出来上がると思っている。

でも、今回かなり色々な方から「買います!」という感想をもらうのだけれど、男性もそれなりに多くてびっくりしている。少し意外だ。同性ならまだしも、私を作る素材のなかに男性に気に入られるものがあったのかよ……。

表紙も、まあ、もちろんタイトルがタイトルだけに女性が描かれていて、という感じで私が気に入るように色々と面倒臭い注文をつけて出来上がったものなのですが、私の周りでは男性から「かっこいいね!」と褒められることが圧倒的に多い。そうなの?

「男性が買っても平気ですか?」と聞かれたことが2度ほどあるんだけど、どうなんだろう。面白いのかな。別に特出して変なことは書いていないし、普段どおりの私+αというかんじなんだけど。私、小説は読むけど男性作家のエッセイって穂村弘くらいしか読んだことないしなあ~……。

■就職とか、転職とか

これ、何回も何回も聞かれるけど、就活・転職において他人のアドバイスってクソほど参考にならなくないよな、と私は思っている。DMとか、Pingとかでも、来るんです、質問が。でも、多分業界も業種も違うと思うし、私のことも知らないだろうし私も質問者のことを何も知らないし、そういう状況のなかで私の経験を話しても何も意味がないんです。

そもそも私は就活をしておらず、友達がリクルートスーツを着ながら頑張っているときに応援していたくらいだし、多分転職もそんなに苦労していない。いや、行きたかった企業の最終面接で落ちて凹むとかそういうことはあるけど……。

そもそもあんまり将来のこととか考えていないんだよね。今の会社もたまたま声かけてもらって、元々知っているところだったっていうのと条件がよかったっていうだけだしなあ。クソ適当に生きていてもなんとかなる、という文脈では参考になるかもしれないけど、就活・転職の話で参考になることはない気がする。

 

■君は友達(だったのに)

昔からの友だちに本を出すことを報告したら、「ウケる」と言われた。それだけだった。

そうか、ウケるのか、と思ったあと、私たちはそのまま会話を続けてどうでもいい話ばかりをしていたけれど、このたった3文字が私の胸のなかでずっと引っかかっていた。

ウケる、だって。この友達は結婚式を控えている。この前、結婚の報告を受けたとき私が同じように「ウケる」といっても傷ついたり怒ったりしなかったんだろうか。

私にとって本を出すことは、結婚と同じくらいのことで、もしかしたらあり得る将来なのかもしれないし、そうじゃないかもしれないくらいの話だった。どっちでもいい。多分、どうなっても私の生活も本質も、それほど変化がないと思う。

けれど、どちらも自分にとっては未知の世界の話で、想像することもできない。夢にも思っていなかった話だから、まさか私が!という気持ちが大きいけれど、でも今までコツコツと続けてきたことが形になったんだと思っている。できる限りのことがした。何も恥じることはない。本当は、自信なんてない。人より秀でている部分のない私が今更何かできるはずなんてない。でも、きっと少しは胸を張ってもいいはずだった。

それが、ウケるんだって。きっと彼女は私の書いた文章を一度たりとも読んだことがない。私はどういうことを考えてていて、どんなことを書くのかを何も知らない。今の私になんて何の興味がないだろうし、あるとしたら昔から変わらない部分と本を出したというバイアスのかかった部分だけだ。

そのあと、私の出す本についてを話すと普通に笑っていて、ああ、もうなんか、色々とダメなのかもしれないな、と思ったんだった。

私は、昔から友達との関係は長くは続かない。人との関係なんて流動的なものだから、と自分を納得させているのだけれど、少し気にしていたりもする。

きっと私がかなり偏屈で気難しくてあまのじゃくだから、というのもあるし、こんな風に人の言葉をいちいち気にしてしまうからかもしれない。

けど、こんな風にたった3文字で笑い話のひとつとして片づけられて、じゃあこの人と友だちでい続ける理由って何かあるのかな、と考えたときに先の見えるような明るい理由が何も見当たらなかった。ただ単に短い学生生活の間を一緒に過ごしただけで、それ以外には何も理由が見当たらない。彼女にしか話せない話も何もないし、会うためのきっかけもすでにもうないのかもしれないね。

だったら、私は今の自分をきちんと見てくれる人と付き合っていきたいと思う。私のことを笑わない人がいい。それって、そんなに難しいことなんだろうか。

結局私にとって人間関係は、いかにして関係性が続いていくかということと私のことをひとりの人間として扱ってくれるのか、ということなのかもしれない。

私は女であることから逃げて、ステージをひとつ落ちている。だから、彼女には恋愛の話を一切しない。

女同士の評価は恋愛をしているかどうかで決まるところがある。頭がいいとか、仕事ができるとか、そういう社会的な評価よりもひとりの男性にどれだけ愛されているかが最重要項目になったりする。だから、恋愛のできない私は彼女からしたら人になりきれていない、何か得体のしれない生き物なのかもしれない。

彼女が恋人に振られたときも新しい恋人との結婚が決まったあと、私に話を振られても「いやあ、何もないんだよね」と答える。本当に何もなかったり、何かあったりすることもあったけれど、何も言わない。それはこれからもきっと同じで、私は馬鹿にしてもいい女であることを自分で選んで一つの人間関係に溶け込めていたはずなのに、自分で自分の人間関係を壊そうとしているのかもしれない。

 

 こうして考えていたこともいつか後悔するんだろうか、長く付き合いのある友達がいないこと、必要としない薄情な自分をひどく憎むようになったり、するんだろうか。

そういうことを、ここ最近もやもやと考えていた。ずっと今の私を見ていてよ。