私地獄

twitter:@ataso00

早くに目が覚めてしまった酔っ払いの朝は

朝の5時前に目が覚める。部屋のなかはうす暗く、カーテンの隙間から差す光はまだない。そういえば昨日はお酒を飲んでいたから、かなり酔っ払いながら帰ってきたことを思い出す。

お風呂にも入っておらず、下着姿のまま、布団に潜り込んでいた。でも、化粧もコンタクトもきちんと取っていたようで、顔の辺りはすっきりしている。確か、「明日もどうせ起きれそうにないから、今のうちにゴミを捨てておこう」と思って、コートも着ずにヘロヘロな状態でゴミ捨て場に向かった気もする。

2軒目に立ち寄ってどんな話をしていたのか、最寄り駅までどうやって帰ったのか、そういうことは思い出せないのに、最低限のこととゴミ捨て場にゴミを持って行くことだけは本能的にやっていたようだった。

私はいつもそうだ。もともとお風呂に入るのが嫌いで、酔っ払うと風呂嫌いに拍車がかかる。だからなのか、深夜に突然フローリングの掃除をしたくなったり、大量の野菜炒めを作りたくなったりしてしまう。今回もその一環で、お風呂に入らない代わりに、ゴミを捨てに行っていたみたいだ。


5時半。目が冴えてしまったので、iPhoneを開き、昨日の晩から見ていなかったTwitterInstagramをチェックする。別に何も変わらないな、といつも思う。人がどんなことをしていようが、画面の向こうは私とはつながりのないような世界が広がっていて、多分大きく影響を受けることが一日のうちに起こるだなんて、ないんだろう。

昨日は、少し仕事が多く残ってしまっていて、残業をしていたところに、先輩に誘われ、会社近くの居酒屋で飲んでいた。机の上に誰もスマホを置いていなかったし、写真を撮る人もいなかった。話していた内容は会社の悪口とか「社員をYoutuberにしよう」とか「これからカジノが流行るから、社内でもカジノに関わるものを作って売ろう」とか、馬鹿なことばかりだったけれど、それだけすごくよかったな、と思った。

私はインターネットが大好きだけれど、たまに疎ましく思ってしまうことや生活が支配されているような気持ちになって、遠ざけたくなる。そして少し離れてみて、私にはインターネットがあってもなくてもいいんだということを確認し、また使い始める、というのをずっと繰り返している。私にインターネットがなければ、こんな風に文章も書くこともなかっただろうし、友達だって出来なかっただろうというのは分かっているけれど。


ご飯を炊いていないと気がついたのは6時ちょっと前で、冷蔵庫にひとつ残った卵の賞味期限が2つ過ぎていたことも一緒に思い出す。お腹が空いていた。酔っ払った次の日はすさまじくお腹が空いてしまう。

賞味期限の切れた卵を食べると、お腹を壊すのだろうか。フライパンに落とした瞬間、臭いや色で分かるのだろうか。捨ててもいいけど、ゴミは出してしまった。そんなことを考えていると、どうしても気になってしまって、検索をする。やっぱり私にはインターネットが必要なのかもしれない。

それで、賞味期限は生の状態でも食べられる期間を示しているのであって、賞味期限の切れた卵は、火を通せば10日間くらいは食べられるらしい。それってほんとう?分からないけど、2日くらいなら大丈夫そうだった。

昔大嫌いな友達に「賞味期限過ぎたものを食べるなんて、女を捨てているんだね」と言われたことがある。だから、今日も私はまた、自分のなかにわずかしかない女をどこかに捨ててしまったんだな、と思う。


お腹も空いていたし、暑くてなかなか二度寝ができない。時計を見ると6時15分くらい。お米を研いで「炊飯」のボタンを押す。その間に、お風呂に入ってしまおうと思った。

お風呂、上がったらさっぱりして気持ちがよくなるのはわかっているのに、なぜこんなにも面倒臭いんだろうか。原因は分かっていて、私の髪が長くて乾かすのに手間がかかるからだ。しかし、乾かすのが面倒で、そのまま寝てしまうと風邪を引く。私は今季、髪を乾かさないで寝て、2度も風邪を引いた。学習能力が何もない。髪を切るという案もあるのだけれど、私の顔立ちはブスなので長い方は似合うのだそうだ。

実はいうと、ここ最近の土日は本当に、全然お風呂に入っていない。こうして私はまた、わずかな女を捨てていく。私が捨てた女は、どこに向かっていくのだろう。


お風呂にあがると、炊飯器はシューシュー音を立てながら働いてくれている。早炊きにすればよかったかもしれない。まだ時間がかかりそう。私の髪は、やっぱり途中であきらめてしまって、半乾きくらい。髪なんてどうでもいい。と思ってはいるものの、この前新しいシャンプーを買いに行こうとドラッグストアに向かった時、突然そろそろ髪を労わらないと駄目なのでは?という焦りを覚え、ちょっと高めのシャンプーとコンディショナーを購入してしまった。私の髪に変化はない。

ご飯が炊きあがるのを待っている間、おかずを作ってしまおうと思った。ごま高菜を賞味期限の切れた卵でとじる。それから、冷蔵庫に残っていた、もやしとオクラ、長芋とひき肉を適当に炒めて、その間にレンジで温めておいた甘酒を飲みながらご飯が炊きあがるのを待つ。


トレーに朝食をのせて、キッチンから部屋に向かうと、7時半くらいになっていて、もうすでに明るくなっている。

何の音もしない部屋で朝食を食べながら、ああ、ひとりなんだな、と思う。いい意味でも、悪い意味でもあるけれど。深夜に酔っ払って帰宅して、お風呂に入らずに寝ても、誰にも何も言われない。朝早く目が覚めてしまって、好きな時間にシャワーを浴びれるのも、冷蔵庫の中に入っているものを考えながら、自分の好きな味付けのものを作ることができるのもひとりだからなんだな、と凄く思う。

私が最後に人に料理を振る舞ったのは、もう3年も前のことになる。一緒に買い出しに行ったのにも関わらず、料理のできない人で、結局私がすべて作ることになってしまっていた。その時は確か、コンソメスープとカレーとサラダという、誰が作っても同じ味になるような、特に難しくもない適当な料理をレシピも見ずに作ったことをなんとなく覚えている。そして、そんなどこにでもあるようななんでもない料理を「美味しい、美味しい」と食べてくれたのだった。

本当に美味しくて言ったのか、自分が何もしなかった罪滅ぼしのような気持ちがあるからそんなことを言ったのかはわからないけれど、素直に喜ぶべきなのかどんな言葉を返せばいいのか、私にはわからなくて、こんな気持ちになることも、ひとりでいる限りきっとないのだろうと思う。水分を失ってしなしなになった野菜を一緒に食べたりとか、2人分の食器でキッチンのシンクが埋め尽くされたりとか、生活の延長上に誰かがいることも、きっと来ないのかもしれない。


そういうことを、ぼーっと考えながら食器を洗うと、少しウトウトしてしまって、また布団に潜り込んで9時くらいまで寝ていた。最近の私はある程度の生活のサイクルができている。誰にも関わらないで部屋にいて、ボーッとしたり、好きなことをしたりしている。

これくらいの年齢になると、自分の生活や価値観を変えてくれるのは周囲の人で、自分だけではどうにもならない部分がある。私はその自分ではどうにもならない部分の成長が止まっているような、でももう動かし方すら忘れてしまったように思っている。

生活のなかで考えるのを辞めてしまうと、こういう大切なことをすぐに忘れてしまう。さらに誰かほかの人が自分の生活に入り込む隙間を埋めつくしてしまっている。好きなことをしていくことと、気ままに生きていくこと、同じくらい忘れないでいなくちゃいけないはずなのに。