読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

私地獄

twitter:@ataso00

幸子ちゃん

脳内

名前というのは、ちょっと不思議なもので、自分の持ち物であるはずなのに周りの人に使われることの方が多い。

人の心は単純にできているから、他人に名前を呼ばれるとその人に好意を持ちやすいらしい。「名は体を表す」という言葉もある。THE BACK HORNの『美しい名前』という曲も、Salyuの『name』という曲も素晴らしい。

美しい名前、Youtubeにないな…。でもめちゃくちゃいい曲です。

 


Salyu name

 
だから私は、幸子ちゃんのことを「さちこちゃん」と呼ぶ。

「さっちゃん」とか「さち」とかあだ名は沢山あるはずなのに、「さちこちゃん」。

人と違う呼び方。しかもあだ名ではなくて、丁寧にきちんとした名前を呼ぶ。他の人と違う呼び方をすることによって幸子ちゃんが私のことをどこか特別だと思ってくれたらいいし、幸子ちゃんとの関係性もなんだかきちんとした関係になってくれたらな、とかそんなふざけたことを出会った当初に目論んでいた。

 

当然のように仮名だし、なんで「幸子ちゃん」にしたのか?というと大森さんの『さっちゃんのセクシーカレー』から。

www.youtube.com

あとは、矢沢あいの『NANA』に出て来る「幸子」という登場人物から。このキャラクターのような人間と私は一生友達になれないだろうし、本音で語りあうことは今後ないだろうと思う。まあ、私に「幸子」という名前の友達がいなくて自分の中では誰もイメージできないというのが一番の理由なんですけどね。
f:id:ataso01:20170115225440p:plain

 

幸子ちゃんとの出会いは、友達に紹介されたことが始まりだった。もう何年も前に遡る。共通の知り合いが何人かいて、何度か話題に上ることがあった。多分、幸子ちゃんも私の話をうっすらと聞いていて、なんとなく知っていたんだと思う。

ある日、共通の友達に紹介されて、そのまま渋谷のしみったれた店で飲むことになった。油でべたべたしたテーブルで200円くらいのビールを飲みながら、私たち3人は誰が相手でもできるような他愛もない話をした。ひとつの作業として会話を処理し、特別楽しい訳でもなかった数時間が終わる。渋谷駅に着き、井の頭線に乗る友達と別れ、幸子ちゃんと私は山の手線で途中まで一緒に帰ることになった。静かな車内の雰囲気に合わせて内緒話をするように、「本当は、ずっと話がしてみたかったんだよね」とこっそりと言われたのがきっかけになり、私たちは親しくなっていった。

幸子ちゃんは、とてもかわいいと私は思う。
顔だけではなくて。例えば、正面に人が座った時にどういう表情をすれば人に好かれるのか、どういう立ち振る舞いをすれば人から魅力的に見えるのか、そういうことが分かっているんだと思う。人から自然に愛され、そして当たり前のように自分のことを守ってくれる人を側に置けるのは、小さな頃から周りの人に愛されて育っていないと身に付かないものだと思っていたから、この人は周囲のどんな人でも味方にしてしまう能力があるのだろう。

服装が微妙に野暮ったいのも、可愛い。ダサいわけではない。野暮ったい。それも微妙に。その微妙に野暮ったい服装が、幸子ちゃんのおっとり・のんびりした性格とすごく合っている気がしている。服やアクセサリーなど、着飾らないのも素敵だと思う。

どちらかといえば話はあまりうまくなくて、聞き上手。2人で会うと、どうしても私が話しすぎることになってしまう。私が話をする度、目を見て頷いたり笑ったりしてくれるから、少しどきりとしてしまう。

右利きで、167センチある私よりずっと背が低い。髪も黒くて、きらきらとしている。ピンクや水色とか、パステルカラーが好き。日本のバンドやアイドルが好き。お酒はあまり飲まなくて、辛いものが苦手。ドーナツやマカロンみたいな、砂糖の塊みたいな過度に甘いお菓子が好き。

幸子ちゃんは、お正月とか私の誕生日とか、何かの節目にLINEで必ず連絡をくれる。スタンプや可愛い絵文字を沢山添えて。あんなにカラフルなメール、あの子からしかもらったことがない。それから、一緒に行けそうなライブやイベントがあると誘いの連絡をくれる。

1年のうちに8回くらい連絡を取り合って、3回くらい遊ぶ。共通の知り合いはいるけれど、なんとなく誘える人が思い付かなくて、私たちはいつも2人で会うことになる。
待ち合わせをする時はいつもほんの少し遅れてしまうはずの私が必ず5分前には目的地に着いている。私から幸子ちゃんを迎えにいくこともある。それほどお酒が飲めなくて、女の子のど真ん中みたいな幸子ちゃんにために、私は決して普段行かないようなお洒落で少し高めのお店を予約する。「この前、原稿料もらったから」「最近、連絡してなかったお詫びに」と何かと理由を付けて少しだけ多めに払う。そして、ほろ酔い程度におさめて、幸子ちゃんが電車に乗り込むまで見守り、私は帰路につく。帰りの電車に揺られながら、幸子ちゃんに「気を付けて帰ってね」という趣旨の連絡をする。

こうして文字にしてみると、少しおかしな感じもするけれど、苦ではなかった。なんだか恋人同士みたいだな、なんて少し思う。「もし、あなたが男の子で、私が彼女だったら、こんな感じでデートしていたのかもね。」と幸子ちゃんに言われて、思わず笑ってしまったこともあった。どうしても「かわいい」だとか「守ってあげたくなる」みたいな女性とは程遠い私が、何度も何度も言われてきた台詞だ。同じ台詞のはずなのに、誰が言うかによって、言葉の意味合いはガラッと変わる。

私たちが会うときは、毎回「久しぶりだね。元気だった?」からはじまり、「またね。また近々会おうよ。」というセリフで終わる。

その間、最近見た映画の話、かっこいい店員さんにどきっとした話、たまたま入ったカフェで食べたレモンチーズケーキがとても美味しかった話。どうでもよくて、馬鹿みたいにくだらない話を、少しずつ隙間を埋めるみたいに繋いでいく。

なんだか会話の本質がどこにも見当たらなくて、時間が経過するのを待つみたいな会話ばかりだな、なんて少し思っていたりもするけれど、幸子ちゃんが喜んでくれるのであれば、まあいいかな、という結論に毎回至るのだった。

幸子ちゃんが私にどんどん懐いてくれるのが凄く嬉しかったし、私も応えてあげなければと思っている。
だから私は、彼氏のように振る舞う。私が男性からされてどんなことが嬉しかったのか、印象に残るのか、少ない記憶の中から引っ張り出して、幸子ちゃんに行動として示し、私の思い出の端っこを渡す。会話の中でどんな答えをすれば間違わないのか瞬時に考えて、当たり障りのない回答をする。私は、幸子ちゃんがこの前別れを告げられた恋人となぜ別れることになってしまったのか、どうして女友達と上手く関係を築くことができないのか、なんとなく知ってはいるのに、私は言い出すことができなかった。

そんな風に考え始めてみると、幸子ちゃんと私の関係は友達でもなんでもないんだろう。私は私で、誰かが作り出してくれた私の幻想や憧れ、その他の尊敬に似た気持ちを抱いてくれる人が側にいてくれるだけで自分が「誰かの大切な人」になれたようなバカみたいな錯覚を起こしただけだ。幸子ちゃんは、否定も肯定もせずにきちんと話を聞いてくれ、自分のことを守ってくれるような人が側にいてくれたらそれでよかったんだろうと思う。

こんな関係性になんだか、疲れてしまってどうしようもなくなっている。この前も「またすぐ遊ぼうよ。連絡するね。」と言いながら、頭では「多分誘わないだろう。」という考えが過ってしまった。でも、自分に抱かれている憧れを裏切ることが出来ず、モヤモヤとした考えを跳ね除けて、また試行錯誤を繰り返して話をしていくのだろう。私の嫌気が増すまで。幸子ちゃんに飽きられるまで。


先日、深夜に幸子ちゃんから「このアーティストのライブに行こうよ。好きだったよね?」とラインで聞かれたけれど、私はそのアーティストを好きでもなんでもないんだよ。聴いたこともないよ。なんで私を誘うんだろう。私でなくてもいいのに。寂しくてどうしようもないだけなら、他の人にすればいいのに。既読にしたまま、なんとなく返信ができずにいる。

広告を非表示にする